文の会ブログ

「本郷東大 文の会(ふみのかい)」のブログです!
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# 受験勉強

 「受験勉強」

 

 冬の朝、窓を開けると、キーンと冷え切った空気が流れ込んできます。その朝の空気を胸に吸い込むと、私の脳裏にはある情景がよみがえってきます。受験当日の朝です。試験会場に向かうために乗り込む電車の駅まで歩いていった時のことです。家を出てから時間にして五分ほど。その間に次々にわいて出てきた、おそれや期待や自信や不安などといった様々な感情。これらがないまぜになって、朝の空気と一緒に胸の中によみがえってくるのです。受験の日からすでに、三十年以上経っているにもかかわらずですよ。「人生」を感じてしまう瞬間なのです。

 ですから皆さんにも、特に受験生である中三生には、伝えたいのです。「この冬の一瞬一瞬は、たとえ意識していなくても、一生胸に刻まれるような、特別な時間なのだ」ということを。受験勉強は、なにも冬に限ったことではないのですが、やはり、受験が間近に迫った、この時期だからこそ感じることのできるものがありますよね。「先生!暑い夏に、半そでのシャツで通った夏期講習にも、特別な思い出がありますよ!」うれしいことを言ってくれる教え子君がいます。そうですよね。なんだか毎日顔を合わせていたかのような日日でしたよね。でもやっぱり、この冬の時期だからこそ、「夏は暑かったよな!」と、特別な思いが込められるのだと思いますよ。

 高校受験は、日本に生まれた君たちの同い年、百万人が体験するものです。中学受験とも大学受験とも違う、いわば同世代の「分厚い共通体験」なのです。私も中学受験・高校受験・大学受験・大学院受験と何度も受験を経験し、その都度受験勉強に打ち込んで?きました。そんな中で、最も悩み深かったのが高校受験であったと言えます。やはりそれは十五歳という年齢的な要素が大きく影響しているものと思われます。精神的なブレが激しく、昨日と今日の自分がまるで別人といった様相でしたね。何者でもない自分に自信が持てずに、周りにあたりちらして意地を張ってみたり、周りは何もしてくれないと不安にさいなまれて意気地をなくしてみたり。逆に、何者にでもなれる自分の可能性に意味もなく満足して、生意気な態度をとってみたり。

 皆さんも、そんな「自己の確立」の時期にむかえる高校受験です。受験勉強のさなか、途方にくれたこともあったでしょう。でも大丈夫。新しい年を受験生として迎えることができました。二〇一九年は君たちの受験の年なのです。人生の中で「受験の年」として刻印されるこの年に、震えながらも堂々と立ち向かっていってください!十五の春はすぐそこまで来ていますからね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# 必勝法

 「必勝法」

 

 「テストに必勝法なんてないですよね?」切羽詰った様子で教え子君がたずねてきます。けれども、本当にそんなものがあることを期待しているのではなさそうです。どうやら「必勝法はない」ということをわざわざ確認したいようなのです。「自分の知らないうまいやり方があるのではないかと思えて、勉強に集中ができない…」という弱音をはいてみて、「そんなものがあるわけないだろう!四の五の言わずに腹をくくって勉強しろ!」と、活を入れてもらうことが目的のようです。はじめから否定されることを前提に「そうですよね!しっかり頑張ります!」という前向きな発言をするつもりで、必勝法を聞いているのでした。ですから「必勝法を教えてください!」ではなく、「必勝法なんてないですよね?」というたずね方になるのです。

 そのことを分かった上で、あえて答えます。「今から七百年も昔に、必勝法は明らかにされているよ。超有名な随筆の中でね。では問題です。文学史の常識、日本三大随筆といえば?」急に質問で返された教え子君は戸惑っているようですが、さすがに「文学史の常識」とまで言われれば知らないではすまされません。「清少納言の枕草子と、鴨長明の方丈記と、吉田兼好の徒然草です!」正解ですよ。ついでに「七百年前」という条件に合うのはどの随筆なのかということも確認しておいてくださいね。平安時代中期の枕草子は約千年前、鎌倉時代初期の方丈記は約八百年前、そして鎌倉時代末期の徒然草が約七百年前ですからね。

 「徒然草にテストの必勝法が書かれているんですか!?」と教え子君は色めき立っていますが、勝負事の必勝法を徒然草の百十段は示しているのです。短い段ですので、全文を引用してみましょう。

 双六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく 負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、又しかなり。

 以下に意訳をしてみましょう。すごろくの名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝とうとしようと思って打ってはいけない。負けないようにしようと思って打つのだ。どんな打ち方をしたらすぐに負けてしまうかを予測して、その手は打たないようにして、一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。その道を極めた人の言うことであって、これは研究者や政治家の生き様にも通じる。こんな意味になります。

 徒然草には他にも「名人」と呼ばれる人物が登場しますよね。弓矢の名人であったり、木登りの名人であったり。それぞれに、含蓄のある言葉を発してわれわれをうならせてくれます。弓矢の名人なら「二本の矢を持つな!一本入魂で行け!」だったり、木登り名人なら「油断大敵!高いところよりも、地面に近いところが危ない!」だったり、なるほどな!と思わせる話が紹介されています。勝負事の必勝法について教示してくれるのは「すごろくの名人」です。すごろくといっても、皆さんが知っている、さいころを振って上がりを目指す「人生ゲーム」のようなすごろくではなく、「バックギャモン」(かえって皆さんにはなじみがないですよね。ヨーロッパで人気のボードゲームです。)に近い対戦型ゲームのようです。日本では平安時代に大流行しています。枕草子や源氏物語にも登場するほどです。当時の大人気競技の名人に話を聞くという内容ですから、平成の今に当てはめるならば将棋の羽生名人に必勝法をたずねるというかんじでしょうか。『決断力』というタイトルの新書がベストセラーにもなった羽生名人ですからね。今も昔も、勝負の世界に生きる人からヒントをもらう、というのはかわらない欲求なのでしょう。

 さて、教え子君に伝える「テストの必勝法」でした。すごろく名人の話をテストに置き換えてみましょう。「負けないようにすること」というのは、すでに経験したことをふまえて「これをやるとまずいことになる!」というパターンを避けるということ。逆に「勝とうとすること」というのは、経験したことはないがあえてチャレンジしてみること、になります。やったことがないパターンにチャレンジすることですね。既存のルールをはみ出したところに独創性は生まれるものです。けれども、テストの意義を考えてみましょう。それは「やったことが試される」というものです。テストとはあくまでも「学習済(経験済)のことがらの定着が試される」という趣旨のものです。発想のユニークさが評価されるというようなものではないのです。それは数十分のテスト時間で求められるものではありませんよね。ですからテストの必勝法は、「四の五の言わずに勉強して、経験値を上げろ!」ということです。結局、活を入れることになりましたね(笑)。

 

 

 

 

 

 

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# ざっくりと

 「ざっくりと」

 

 「あれだけ計画通りにやったのに全部覚えることができませんでした。私って記憶力がないんでしょうか?」中学二年生の女の子です。白か黒かはっきりさせないと納得できない!という思春期真っ只中。「記憶力がない」と言い切ってしまうあたりに「全部できなければ、ゼロと同じ!」という生真面目すぎる性格があらわれていますね。

 「300語の中から出題されるという英単語のテストがあったんです。一度に長時間かけて覚えるよりも、短い時間でも毎日続けて覚えたほうがいいというアドバイスに従って、ちゃんと準備したんです。」それでいいと思いますよ。一夜漬けで覚えこんだとしても、結局身につかないですからね。それでは将来的に役に立ちませんから。「何度も繰り返して、着実に進めたのに。本番のテストで間違えてしまったんです。」といっても、9割以上は得点できたんでしょう。十分だと思いますよ。「一ヶ月も準備して、満点を取れないなんて!自分が許せないんです。」あれあれ、これは「ほぼ満点だからそれでいいんだよ」という話をしても納得しないな、と思った筆者はアプローチを変えることにしました。一ヶ月毎日継続して勉強したというけれど、どんな風にやったの?「毎日少しずつ進めました。30日間あったので、一日10個の単語を確実に覚えるという計画でした。」え?じゃあ、一つの単語は一回しか覚えるチャンスがないということ?「違います!一日に10個ずつ増やしていくつもりで、何度も繰り返しました。」どうして一日10個にしちゃったの?「え?一度にたくさんやるのではなくて、毎日少しずつやるほうが効果的だからって…」ああ、それはね、「少しずつ」の意味を取り違えているよ。少しというのは単語の量の話ではなくて、かける時間の話なんだよ。

 300個の単語を覚えようというときに、300分=5時間かけて一度に覚えようとするよりも、一日10分でいいから30日かけて合計300分使うほうが、同じ時間であっても記憶に定着するというのは間違いありません。でも、だからといって300÷30=10という計算式で、単語の量まで小分けにしてしまうことはないのです。そうではなく、一日10分で300個の単語を覚えようとするのです!そこでも、10分=600秒だから、一つの単語に2秒かけて覚えよう!などという計算式を当てはめる必要はありません。300個を「ざっくりと」10分かけて1周するのです。

 ここで登場したのが「今月の言い回し」です。ビジネスシーンなどで「今日中にざっくりと全体のプランをまとめておいてくれ」などといった用法ですっかり定着した感のある「ざっくり」という言葉ですが、少し前までは「俗語」という扱いでした。辞書に「大まかに。大ざっぱにとらえる」という意味が載るようになったのは、つい最近のことです。

 「ざっくり」というのは擬態語の一種になります。擬態語というのは、ものごとの状態や様子などを感覚的に音声化した表現です。でも、実際に音がするわけではありませんからね。「うろうろと歩き回る」という表現で、本当にうろうろと音がするわけではないですよね。では「ざっくり」はどんな様子を表したものなのでしょうか。例をもとに考えてみましょう。「キャベツをざっくりと切る」これは「力をこめて物を切ったり、割ったりするさま」になります。「傷口がざっくりと割れる」これは「深くえぐれたり、大きく割れたりするさま」ですね。「ざっくりとしたセーター」これは「布地などの手ざわりや目などの粗いさま」ですよね。この最後の用法から派生して、「大ざっぱ、大まか」という意味で使われるようになったのではないかと考えられています。

 決して悪い意味ではなく「丁寧ではなく大まかに」「細かいことにこだわらず」という語義が「ざっくり」に加わることになったのです。「ざっくりと300語を覚える」というのもそうです。丁寧に細かく覚えようとすれば、10分でできるわけはありません。そこをあえて、一語一語にこだわらずに大まかに300個をさらりと学習するのです。読解においては「自分が納得するまで、細かいところを丁寧にこだわって読み抜く」という態度が大事ですが、暗記という作業においては、一部分だけを掘り下げるよりも、全体をまんべんなく繰り返し仕上げることのほうが重要なのです。

 「じゃあ、毎日300語を30日間繰り返し学習すればよかったんですね。」その通りですが、1日10分で続けることがポイントなんですよ。毎日、何時間もかけてしまっては意味がありませんから。そのためには練習が必要だともいえます。経験を積んでこそ大まかにできるようになるのです。「ざっくり」の意味合いはそこにあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# 餅は餅屋

 「餅は餅屋」

 

 中学二年生の教え子のお母様からの相談です。「とにかく過去問を早い段階からやらせるべきだと指導されたのですが、2年生の夏からでは遅いでしょうか?」いえいえ、まだ中学のカリキュラムも終了していないのに、総合問題である過去問に手をつけても、効果は期待できないですよ。「でも、誰もやっていないうちから進めておくのがいいんだって。先行逃げ切りだということらしいんです。」面白い表現ですね。でも作戦の一つではありますが、必ずそうしなければならないというものではありませんよ。一体誰に指導を受けたんですか?「娘の同級生のお母様です。お兄さんの受験で成功されて、自信満々でアドバイスくださるものですから。学年ではカリスマ的な人気?を誇っていらっしゃいます。」ママ友というアレですね。それは人間関係も絡んでいて面倒くさいケースですね(笑)。耳を貸さないで、とは言いませんが、話半分に聞いておいてくださいね。アドバイスが必要でしたら、われわれプロフェッショナルにお任せください。餅は餅屋ですから!

 「その道のことはやはり専門家が一番である」ということのたとえに使う慣用表現ですね。お餅は餅屋さんがついたものが一番おいしい!ということです。「餅屋って、それは何ですか?」という声が聞こえてきそうですが、お餅を専門に作る職人さんのお店です、って言ってもピンとこないですよね。では英語でお餅のことを何ていうか知っていますか?rice cakeです。お米のケーキですよ。ですから「ケーキはケーキ屋さんで買う」といえば理解できるのではないでしょうか。手作りのケーキも素敵ですが、やっぱりプロのパティシエ(ケーキ職人)が作るケーキはすごい!という意味だと理解してください。

 ママ友さんのアドバイスに話を戻すとするならば、それはこんなたとえになるのではないでしょうか。あるお母さんの作った手作りのケーキがおいしいと評判になり、皆さんでそのレシピを参考にさせてもらいました。けれども、作ってみておいしいかどうかは自己責任でお願いしますね(笑)!と、まあこんな風になると思いますよ。

 お餅は家庭で作ることもできます。昔は各家庭でお餅つきを行っていました。それでも、お正月の前であるとか「特別な日」につくだけです。年がら年中ついているわけではありません。「今年のお餅は特別おいしいね」というのがお正月の挨拶のようなものでした。それに対して、それこそ毎日お餅をついて研究を重ねているのが餅屋さんなわけです。お世辞ではなく、本当においしいお餅でなければ誰もわざわざ買ってくれませんからね。プロフェッショナルとは「結果に責任を負うこと」なのです。われわれプロの発言一つひとつの背景には、幾千もの実例が存在します。その上で、この生徒に当てはまるアドバイスは何か?を問い続けているのですよ。安心して餅屋にお尋ねくださいませ!

 

 

 

 

 

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# 相対評価

 「相対評価」

 

 教え子君と話をしていて、それは冗談で言っているのか、それとも本気で言っているのか、よく分からずにいて、事情を理解するまでに随分と時間がかかった、という最近のエピソードをご紹介します(笑)。私は冗談だと聞き流していたのですが、教え子君はどうやら本気でそう思っているようなのでした。

 教え子君が力を込めて主張することには「自分は小学校五年生の時が、一番頭が良かった!」と言うのです。私としては単純に、そんなことはないだろう、と話をしました。中学生になって英語も数学も新しく学習し始めて、どんどん知識の量は増えているし、小学生の頃とは比べものにならないほど頭は良くなっていると思うよ、と教え子君の冗談を軽くいなして、自信を持てと言いたかったのです。ところが、教え子君は頑(かたく)なに「五年生の頃は、本当に頭が良かったんです。あぁあ、五年生に戻りたい。」と言いつのります。「ははぁ、今の能力のまま、五年生に戻りたいというヤツか。のび太じゃないんだから、そんな夢想をしていないでちゃんと期末テストの準備をしろ!」と、現実逃避を試みていると思った私は、厳しく教え子君にあたったのでした。さらには「私なんか君の何倍も長く生きてきているが、今でもどんどん賢くなっているという実感があるぞ!」と自慢にしか聞こえない発言をして、教え子君を途方に暮れさせていました。私としては、今日よりも明日の自分は成長している、という話を伝えたかったのです。

 「小学生の頃はクラスでも一番できる!って思っていたのに、中学生になってからは、真ん中くらいでしかないし…」ここでようやく私は気づいたのでした。あぁ相対評価の話をしていたのか、と。

 クラスの中の自分の順位、といった尺度で評価することを「相対評価」と言います。「一番できるグループが10%で、二番手グループは20%で…」と決められた枠の中で、自分がどこに位置するのかということが評価の基準になります。ですから教え子君は、小学生の頃は一番手グループに属していたが、中学校に入ってからは、二番手・三番手グループをウロウロ…という状況なのでしょう。小学校と違い中学校は、通学のできる区域も格段に広くなり、集まってくる生徒の幅も広がります。当然「できる」生徒もたくさん集まってきますよね。でもこの傾向は、高校・大学と進学するにつれて、さらに拍車がかかってきます。大学には全国から「我こそは!」という人物が集まってくるわけですから。

 「え〜。じゃあ大学に行ったら今よりもっと大変じゃないですか。やっぱり小学校がいい。」と教え子君。大丈夫です。大学での評価の仕方は「絶対評価」になりますから。クラスの中の何番手、という評価基準ではなく、この百点満点のテストで80点をこえたものはA判定、といった「基準点に達するかどうか」が評価のポイントになるのです。もしクラス全員が80点をこえたら、全員がA判定になるだけです。「それいいですね!はやく大学生になりたいです!」と、俄然やる気をみせた教え子君なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# 心にもない

「心にもない」

 

 教え子君のお母様から深刻な相談です。「母親失格です。息子に心にもない言葉を浴びせてしまいました。」母親失格、とまでご自身を追いつめています。反省しきりの様子のお母様ですが、一体何をお子さんに言ってしまったのでしょうか。「受験生なのに、ちっとも自覚がないというか…当然、勉強していなきゃいけないタイミングで、ダラダラとテレビをつけっぱなしにしていて…」それで怒ったのですね、「勉強しなさい!」と。でも、それはどこのご家庭でも繰りひろげられている「日常の風景」ではないでしょうか(笑)。受験生なら注意されて当然ですし、お母様が心配になるようなことではありませんよ。お子さんも「どこかで区切りをつけなくちゃ」とは気づいていたはずです。それでも「次にCMが始まったらテレビを消そう」といった、実に頼りない決意を胸に秘めていたくらいでしょうから、お母様に注意されてようやく区切りがついたというのは、むしろ本人にとってもありがたいハナシなんですよ。「今やろうと思っていたのに!」と文句は言うでしょうが、「だったら言われる前にやりなさい!」と言い放っても問題ないというくらいです。

 ここまで私は「受験生の日常風景」というカテゴリーでのお話と理解して、一般的なアドバイスを返していたのですが、ポイントはそこではありませんでした。「心にもないことを」というお母様の発言からも明らかなように、「勉強しなさい!」という小言について反省しているのではないようです。それはそうですよね。勉強してほしいとは心にも思っていない、なんていうことはないでしょうから。では、お母様は一体何を言ってしまったのでしょうか。

 「合格するはずないでしょう!落ちてみないと分からないのね!」お母様の反省は、このネガティブな言葉を投げかけてしまったことに対してだそうです。「不合格だの、落ちろ、だの、心にもないことを言ってしまって…先生から感情のマネジメントが重要だと教えていただいたのに…」私が言ったことも覚えていらっしゃるようで、アンガーマネジメント(怒りの感情をコントロールすること)のお話も理解して下さっています。頭では分かっているのですが、わが子に対しては我慢ができずに厳しい言葉をつい…。そうなんですよね、怒りにまかせて口走ってしまいますよね。でもお母様、この際ですから申し上げますが、それは「心にもない」ではなくて「心からの」叫びだということを、しっかりとご認識くださいませ!

 「心にもないことを言ってしまってごめんなさい」というフレーズは、謝罪の際の常套句です。本心からではないことをアピールして許しを請うわけですが、実際問題としてよく考えてみてください。人間は思いもしないことを口にすることはありません。怒りという感情が「言ってはいけない」という理性によるストッパーを解除してしまい、その結果口をついて出てきた言葉というのは、実は「心の底では常々そう思ってきたこと」に他なりません。

 「先生、私はわが子の不合格を望んでいたりはしませんよ。」それはそうでしょう。しかしながら「こんな調子では不合格になってしまう」と心配していたでしょう?その思いを口に出さず、とりわけ「不合格」をNGワードとして意識してしまうあまり、「そんなことを考えていること」自体をなかったことにして、意識に上らないように心の奥底に閉じ込めてしまっていたのでしょう。それは「言ってはいけないこと」であって、「心にもないこと」ではないのですよ。

 「それでも、子どもに対して言ってはいけないことを、口にしてしまったことには違いありませんから」と、お母様。確かに本人を目の前にして言うことではありませんよね。その点は反省して頂いて、では本人の前で口にしないようにするにはどうすればいいのでしょうか?簡単です、本人が目の前にいなければいいのです!「心にもない」などと、「なかった」かのように振舞うのは、ストレスがたまるばかりです。ですからお母様、どんどん我われに言ってください!本人の前では口にできない「本音」を、ぜひお聞かせください!「先生!このままだと息子は合格できないと思います!」そうです、ご相談くださいませ。そのためにこそ、我われ講師が存在するのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# リーズナブル

 「リーズナブル」

 

 「国語の解答って、いい加減だと思います!」私のところに詰め寄ってきた教え子がいます。成績優秀な生徒さんです。英語と数学の成績は抜群で、本人も「得意です」と自負しています。そんな中で「国語の成績には納得がいかない!」ということなのですが。「国語の読解問題で、傍線部の理由を答えさせたりする場合、数学のように証明ができないじゃないですか。それって数学と違って国語はいい加減だということになると思うのですが、違いますか!」ドキリとさせられる鋭い質問です。単に成績が振るわないことに対するグチを語りにきたとか、国語という科目に対する八つ当たりを述べにきた、というストレス発散のために筆者のところにやってきたのではなさそうです。(あ、ストレス発散でもいいのですよ!内にこもって悩み続けてモンモンとするよりも、外に向けて何かを発信することは精神衛生上もいいことだと思いますので!)真剣な質問に対して、真剣に向き合わなくてはならないと覚悟を決めました。そして次のように生徒さんに返答したのです。「確かに国語の解答は、いい加減ですよ。」あっさりと認めてしまいました。肩透かしをくらったような格好の生徒さんは、かえって戸惑ってもいるようです。そこで、「でもそのいい加減というのは漢字で書いて考えてみてくださいね」と、伝えました。それはどういうことでしょうか?

 「良い加減」と書いて「いい加減」と読むことができます。辞書で確認してみてほしいのですが、「いい加減」には相反する意味が含まれています。一つは、生徒さんが指摘した内容での「おおざっぱで、無責任」という意味です。そして、もう一つが「適度」という意味になります。「ちょうどいい加減のお風呂の温度」という用法がなじみやすいでしょう。国語の読解での解釈というのは、この「良い加減」の推論を追求するものなのだということを理解してほしいのです。

 「数学とはどこが違うのですか?」生徒さんの追及はとまりません。数学の証明のような論理的推論には、大きな特徴があります。それは「前提がすべて真であれば、結論も必ず真となる」というものです。中点連結定理を使って図形が平行四辺形であるということを証明する、なんていうのはまさにこのパターンですよね。これに対して、国語の読解での解釈というのはどうでしょうか。「傍線部の箇所での主人公の心情を説明しなさい」という問題をイメージしてみてください。決まった定理があるわけではありませんよね。論拠を挙げるとしても、「文章中で主人公がこんな行動をとっている」という箇所を指摘できるくらいです。さらには、そんな行動をとっているからといって、こうした心情でいるに違いない、という結論を導き出すことも、あくまでも蓋然的なもの(確実とはいえないもの)でしかないのです。つまり国語の読解では、論拠に関しても、論拠から結論への移行に関しても、数学的には「いい加減」な推論でしかないと言えます。だからこそ、別の観点から「良い加減」の推論を追求しなくてはならないのです。ここで求められる観点こそが国語的なものなのです。そしてそれは、誰もが納得できるという意味での「合理性」ということになります。

 「合理性?…ですか」なんだか難しげな話になって、さらに戸惑いの度を深めている様子にも見えます。英語を得意としている生徒さんですので聞いてみました。「reasonリーズンという単語の意味は知っていますか?」「はい、理由とか、道理という意味です。」「そうですね。ではreasonリーズンがもとになったreasonableリーズナブルという単語の意味は知っていますか?」「え、あ、はい。リーズナブルという言葉は知っています。値段が安いという意味だと思います。」「いえいえ、リーズナブルは合理的という意味なのですよ!」

 「リーズナブル」という言葉の本来の意味は「リーズン」という言葉の意味をふまえて「道理に合った・納得のできる」という意味になります。そこから「納得のできる手ごろな値段」という意味で「妥当性のある値段」を意味することもあるのです。「激安」という意味で覚えてしまっている生徒さんはいませんか?決して「安い」というだけではありませんのでご注意を。

国語で求められるのは、このリーズナブルな解答なのです。それは相手を納得させられるだけの妥当性を持った解答という意味になります。ここで言う相手とは「採点者」のことであり、その人を説得するという意識が必要です。コミュニケーションの中で理性を働かせることこそ、国語の学習の目指すべき姿なのです。「問題と向き合うだけの数学と違い、国語には人間の相手がいる、ということですよね?」その通りです。文中の言葉を使いながら、良い加減に相手に伝わる答案を目指しましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# すきま時間

 「すきま時間」

 

 「すきま時間」というのは、予定と予定の間に生じる短い時間を意味する言葉です。そんなわずかな時間でも無駄にせずに、ちょっとした作業にでも取り組めるようにするということが、これまで大切だとされてきました。毎日の予定が決まっているならば、それにともなってすきま時間の方も毎日見込むことができます。ですから少しの時間であっても、それが毎日積み重なることによって大きな効果を生むことになる、と認識されてきました。例えば通勤電車の中で英会話の教材に取り組む、なんていうのはビジネスマンによるすきま時間の活用の典型だといえるでしょう。

 最近ビジネスの世界では、あらためてすきま時間の価値が見直されています。これまでは仕事に取り組む時間以外の「すきま」を利用する、という考え方に基づいていたのですが、それが根本から覆(くつがえ)される勢いなのです。原因はスマートフォンの普及によります。つまり、これまであった仕事をする時間や場所に対する制限そのものが、解消されつつあるということです。オフィスの机のパソコンに向かって仕事をする時間と時間の間という「すきま」についての考え方が、そもそも成り立たなくなりつつあるのです。オフィスでなくても自宅でのパソコンを使って在宅で仕事をする、という考えをさらに発展させたものであるといえます。移動中であろうが何であろうが、スマホを片手に「自宅やオフィスのパソコンでやっていた仕事」をまるごと実行することができるのですから。いつでもどこでも仕事ができる、いわば「すきまなし」の世の中に変わりつつあるのですよ!

 教育の世界でも、いずれは同じことが起こってくるかもしれません。学校に通って決められた時間割に従って科目の学習を行う、という「当たり前」が変わってくるかもしれませんよ。皆さんにとっては、「すきまなし」で勉強を続けなくてはならない時代が到来することに備えなくてはならないわけですが(笑)。

 とはいっても、すきまなしで勉強を続けることには、かえって無理・無駄が生じてしまう危険性もあります。「6時間勉強しました!」と言ったところで、ただダラダラと勉強を続けていただけでは、効果も期待できないでしょう。メリハリをつけて、短時間で集中を繰り返す。「すきま」には集中力を回復させる効果があるのです。ですから長時間勉強を続けるときにこそ、逆にすきま時間を意識するべきなのです。気分転換にすきま時間を有効活用してこそ、集中力も維持できるというものです。「すきま時間に得意科目を勉強して気分転換をしています!」そこまでいけば完璧ですけれどもね。

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# 読書百遍

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 「読書百遍」

 

 「どくしょひゃっぺん」と読みます。「百遍」というのは「回数が多い」という意味です。中国の故事にまつわる「読書百遍意自ずから通ず」を略したものになります。「どんなに難しい文章でも、繰り返し読めば自然と意味が分かってくる」ということです。皆さんも耳にしたことがある言い回しではないでしょうか。そして「古臭い」という印象を持つのではないでしょうかね(笑)。

 「意味が分からなければ、すぐに検索!」という時代に生まれた皆さんですから、非効率的な「とにかく百回読め!」といった根性論めいた物言いには違和感を覚えることでしょう。でも、この「古臭い」という認識は今に始まったことではなく、昭和の時代から言われていました。小林秀雄が「読書百遍という様な言葉が、今日、もう本当に死語と化してしまっている」と言及していたことが思い出されます。えっ?小林秀雄って誰ですかって?「近代批評の確立者」と言われ、昭和を代表する知識人ですよ。難解な文章で知られ、受験業界では「悪名高い」小林秀雄なのです。大学入試センター試験で、国語の平均点が史上最低を記録した際の出題文が小林秀雄の文章だったものですから。当時の受験生が「イミフー!」と叫んでいたのも、まだまだ記憶に新しいところで今から五年前の2013年のことでした。読書百遍というのは、そんな小林秀雄の文章を読む際に、最も要求される姿勢だと思いますよ。死語と言われようともそれは必要なものなのです。

 でも先生!テストでは読書百遍なんてやっていたら間に合わないですし、それができないからこそ実際のセンター試験でも受験生が点数を取れなかったんじゃないですか!鋭い指摘です。時間という制限のあるテストでは、読書百遍という姿勢を貫こうとしても無理が生じてしまうということですね。もとになった故事でも「百回も繰り返し読む時間なんかありません!」という意見に対して、「ひまをみつけて読むのです。雨の日でも、夜中でも、冬の間でも」(人が活動しない時間、という意味)と答えていますからね。何年もかけて読むというスタンスのようです。それでは試験時間内に問題を解くという読解とは、前提自体が違っているということになります。

 それを承知で、あえて読書百遍を勧めるとするならばどうなるのか。一般的な読書百遍ではなく、国語のテストの読解に際して求められる読書百遍のあり方を示してみましょう。限られた試験時間内であっても「意味が分かるまでは繰り返し読むことをやめない」というスタンスは崩してはいけません!「先生、それでは間に合いませんよ」という生徒さんには「どこを読むのだと思っているのですか?」と聞いてみましょうか。「出題文を繰り返し読むのではないのですか?」という反応が返ってきそうですが、違うのです。傍線部の意味が分かるまで、設問の意図が分かるまで、選択肢の違いが分かるまで、なのです。そう、出題文ではなく設問を、意味が分かるまで繰り返し読むのです。一体何を要求しているのか。その意図が分かるまでしつこく読み続けるのです。「これしかない!」と納得のできるまで。

 書物には作者がいます。読書の目的は作者の意図を理解するということでしょう。「読書百遍意自ずから通ず」というのは、繰り返し読んでいれば作者の意図は伝わってくる、ということなのです。けれどもテストでは書物を丸ごと一冊読むということはありません。一部が切り取られて提示されているわけです。ですから作者の意図は、そもそも読み取れないと考えましょう。では何を読み取るのか。一部を切り取った人物の意図です。作問者というテストを作った人物の意図を読み取らなくてはならないのです。その作問者が書いた文章こそ、「設問」であり「選択肢」なのです。実に短い文章です。ここを百遍でも、「なぜ?」を繰り返しながら読み抜くのです。センター試験でも、小林秀雄と勝負するのではなく、小林秀雄の文章を出題した作問者との勝負だと考えて取り組まなければならなかったのですよ。君たちが高校生になった頃には、ぜひ理解しておいてほしいポイントなのです!

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# リベンジ

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 「リベンジ」

 

 「今回のテストは失敗してしまいました…。次回はリベンジします!」。教え子君がよく使うセリフですが(笑)、文化庁が実施した「国語に関する世論調査」でも、このリベンジをはじめとするカタカナ言葉の使用頻度が高まっていることが明らかになっています。「同じような意味の漢字とカタカナ言葉で、どちらを主に使いますか?」という調査項目があるのですが、リベンジは実に61%が「使う」と答えたそうです。それでは皆さんに逆に質問です。リベンジを使わずに、同じような意味を漢字で表すとすれば何になるでしょうか?正解は「雪辱」です。「せつじょく」と読みますよ。「そんな言葉使いません!」という声が聞こえてきそうです。それもそのはず、世代別に見ると30代以下のカテゴリーでは八割以上がリベンジを使うと答えているのですから。皆さんたちの世代にいたっては、その割合はもっと高いと考えていいでしょう。

 筆者にしてみれば「リベンジっていうのは新語・流行語大賞に選ばれた、最近はやりの言い回しなんだよ」と説明したいところなんですが、「最近」といっても平成11年のことになるのですね。今から19年前…君たちはまだ生まれてもいないじゃないですか!「平成の怪物」と言われたプロ野球選手の松坂大輔投手がデビューしたのがこの年ですよ。勝っても負けても騒がれた松坂投手が、試合後のインタビューで頻繁に口にしたのがこのリベンジだったのです。「リベンジします!」と宣言して、みごと次の試合でプロ初完封勝利をあげたりしていました。当時の新聞記事では、まだリベンジという言葉が聞きなれないカタカナ語として扱われていて、わざわざ日本語訳をつけて紹介されていました。その訳語というのが「復讐」「報復」というものなのです。なんだかおどろおどろしい表現ですよね。でも本来、リベンジというのはそうした意味なのです。これをスポーツの世界、特に試合の勝敗に焦点をしぼって、一度敗れたという悔しさを次に勝利することで晴らす、という意味で使うようになったことが「新語・流行語」に選ばれた理由なのです。この意味でリベンジが浸透してくるにしたがって、新聞記事でも「復讐」ではなく「雪辱」という言葉で説明されるようになりました。

 せっかくですから「雪辱」の使い方も覚えておきましょう。雪辱の「辱」については、難しい漢字ですが訓読みすると「辱(はずかし)められる」となり、意味は「はずかしい思いをさせられる」になります。次に「雪」ですが、これも訓読みすると「雪(そそ)ぐ」となり、意味は「洗い清める」になります。ですから「雪辱」で「恥ずかしい気持ちを拭い去る」という意味合いになるのです。ところで、「雪辱を果たす」と「雪辱を晴らす」、どちらが正しいと思いますか?正解は「雪辱を果たす」です。「晴らす」を使いたければ「屈辱を晴らす」が正しい用法になります。では「雪辱を晴らす」のどこが間違っているのでしょうか。ポイントは「意味の重複」になります。先ほど説明したように「雪辱」の「雪」には「拭い去る」という意味があり、これに「晴らす」という言葉をつなげてしまうと意味が重なってしまうのです。「馬から落馬しました」というように、同じことの繰り返しの表現となってしまい、これは「避けるべき恥ずかしい使い方」と認定されているのですよ。

 さて、テストでリベンジを誓ってくれた教え子君ですが、結果が出て再び宣言してくれました。「この次のテストでは雪辱を果たします!」新しい言い回しを一つ覚えましたね(笑)。とりあえずは一歩前進したと認めましょう。

 

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