文の会ブログ

「本郷東大 文の会(ふみのかい)」のブログです!
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# 終わりよければすべてよし

 「終わりよければすべてよし」

 

 皆さんも耳にしたことのある表現ではないでしょうか。「ことわざ」のように感じるかもしれませんが出典のある言い回しになります。すなわち「作者」が存在する表現なのです。その作者とはウィリアム・シェィクスピア。「世界文学のスタンダード」ともいわれる数々の名作を生み出したことで知られている劇作家です。その作品の一つが『終わりよければすべてよし』なのです。戯曲(演劇の上演のために執筆された脚本)のタイトルとしては有名なのですが、実際に演じられる劇の方は人気がなかったらしく、シェィクスピアの中でも上演回数が少ない作品のひとつとして挙げられています。原題はAll's Well That Ends Well.になります。

 「終わりよければすべてよし」と聞くと、なんだか前向きなイメージが浮かんできますよね。でも戯曲の内容は問題をはらんだものです。喜劇風にハッピーエンドの体裁を取っていますが、内実は喜劇でもハッピーエンドでもないという皮肉がこめられているのです。内容通りに日本語のタイトルをつけるとすれば「結果がよければ手段は問わない」といった風になるでしょうか。

 シェィクスピアといえば、その全戯曲を翻訳したことで有名な東京大学名誉教授である小田島雄志先生は、私にとって大学の英語の先生にあたります。気さくな先生で、下北沢の定食屋なんかでご一緒することもありました。授業で印象に残っているのは『真夏の夜の夢』のお話です。日本では坪内逍遥が最初に訳して以来『真夏の夜の夢』という訳題が用いられてきていて、そのタイトルでヒットした歌謡曲があったりもします。原題はA Midsummer Night's Dream.小田島先生はこれを「真夏の夜」と訳すのは間違っている!とおっしゃっていました。「ミッドサマーというのは夏至のことで、日本でいうところの真夏にあたる季節ではない」と。ですから小田島先生訳のタイトルは『夏の夜の夢』になっています。

 さて、もう一つの思い出話にお付き合いください。私が中学生だった頃の話です。クラス担任の先生に目をつけられた私は、ことあるごとに呼び出されては注意を受けていました。やれ「勉強に集中できていない」だの、やれ「無駄なことに時間をかけすぎる」だの、なんだかんだと口を挟んでくるのです。さすがに「○○と一緒にいるのはやめるように」と、友人関係にまで文句をつけてきたときには、腹が立つのを通り越して「許せない!」とまで思っていました。それからというもの、「英語に力を入れないでどうする!」と叱られたなら、次の定期テストでは英語には目もくれず、理科と技術のテストで満点を取ったりするという、反抗を試みていました。何をやっているのだか…と今から思えばあきれる話ですが、それでも今だから気づくことは「結果的に勉強していた」という点なのです。反抗して勉強しないという方向だってありえたはずなのですが、そうするのが悔しかったというところがポイントなのです。逆説的にではありますが、その先生は私にとって「ありがたい存在」であったわけです。少なくとも「やればできるのに」などといった甘いことを口にするような先生よりはずっと助けになったと、今では思えるからです。

 こんな風に考えることができます。大切なのは「机に向かって勉強する」という行為そのものであると。生徒が何はともあれ「やってやるぞ」と決意して机の前にすわって鉛筆を握って問題に取り組む。そういう姿勢そのものが何よりも重要な意味を持つのだと。それに比べれば「どのように勉強すればよいか」というアドバイスなんて、むしろ二次的なものなのかもしれません。論理的に納得して行動を起こそうが、感情に突き動かされて「やってやる!」と決意して始めようが、「終わりよければすべてよし」なのです。

 なんだか「結果がよければ手段は問わない」というエピソードの紹介になってしまいましたが、中学生の頃には考えもしなかった内容です。結果的に勉強に向かう姿勢のおかげで、東大に合格して小田島先生の授業を受けることができたのですからね。中学の担任の先生にあらためて感謝です。

 

 

 

 

 

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# 実現可能

 「実現可能」

 

 11月も半ばを過ぎました。塾からの帰り道にふと夜空を見上げると、またたいている星が目に入りますよね。まるで「頑張れ!」と励ましてくれているような気がしてきませんか?!私の記憶の中にも、自分が受験生だった頃に冷たい空気に包まれてオリオン座を見上げていた場面が、確かに刻まれています。夜が長く感じられる季節になりましたよね。暦の上ではもう冬ですから。受験生はいよいよ追い込みの時期に突入です。「あと少し!ラストスパート!」と、わき目も振らずに勉強に集中できればいいのですが、リミットが迫ってきているという焦りから、不安で仕方がないという思いを抱える生徒も増えてきます。夜中に一人で勉強をしていると、急に変なプレッシャーを感じてしまったりね。私のところにも「自分には無理です」という悲鳴にも似たうったえが届けられることがあります。志望校に合格できないのではないか、という不安でいっぱいになってしまうのですね。自分が思い描いていた理想には結局手が届かないのではないか…。一度でもそんな考えが思い浮かんでしまったら、頭からネガティブなイメージが離れなくなりマイナスの感情がどんどんこみ上げてきてしまいます。精神的に過剰なストレスにさらされている状態に陥り、どうにもがまんができなくなるのです。すると防御的な反応として、ストレスの原因を「なかったことにしよう」という心の働きがおこり、願望そのものを遠ざけようとしてしまうのです。「そんなことは本当は望んでいませんでした」と。それが「自分には無理です」という発言にいたる経緯なのです。けれども受験を避けることはそもそもできませんし、一度思い描いた願望を忘れることもできません。ですから不安から逃れることはなかなかできないのです。

 ではどうすればいいのでしょうか。不安な気持ちを、むしろ受け入れてしまうことに重点を置かなければなりません。もちろんそれは逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑えることになりますから大変な作業です。でもだからこそ、サポーターであるわれわれが存在するのですよ!私はこの時期、生徒からのギブアップ宣言ともとれるこうした発言を聞くと、ようやく受験生として本気になった証拠だねと、生徒と一緒に肯定的に受けとめることにしています。自分のことを客観的に見つめられるようになる第一歩だと考えるからです。どうして「無理だ」と思ってしまったのか?きっかけとなった出来事が必ずあるはずです。そもそもの理由が何かしらあるものなのです。その原因と向き合わないで逃げ出してしまっても、事態は改善しませんよね。不安と向き合うことから始めるしか解決の糸口は見つからないという覚悟を決めて、一緒に原因を探求するのです。

 テストで思うように得点できなかった科目があるのではないですか?その苦手科目を克服するために勉強のスケジュールを立てたものの、予定通り進まなかったのではないですか?思うような結果が出せなかったからといって、また思うように計画が進まなかったからといって、やり方の検証や反省を加えもせずに願望そのものを消してしまおうとしては元も子もありません。必要なのは方法を変えてみることなのです。理想に向かって進むことをあきらめるのではなく、実現可能なものにするためにこそ、進み方を修正しなくてはならないのです。志望校合格という最終的な目標地点を変更することは考えません。

 今のままでは目標に到達できない!という焦りはそのまま受けとめましょう。それでも目標に近づいていかなくては望みは叶えられませんから、少しずつでも近づいているというイメージを持つことが重要になるのです。到達地点までの距離を「小分けにする」という感覚が必要になりますよ。「ここまではできた!よし、次だ!」というモチベーションですね。小さな達成感を重ねることです。そうすることで不安というマイナスの感情は払拭されていきますから。実現可能だという気持ちを一貫して持ち続けることが何よりも大切になってくるのです。

 

 

 

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# 傾斜配点

 「傾斜配点」

 

 傾斜配点という業界用語?をご存知でしょうか。何の業界かと申しますと、受験業界ですからね。英語・数学・国語の入試の配点がどれも100点であるならば、それは均等配点ということになります。均等=どれも同じ、ということですね。これに対して、英語200点、数学50点、国語100点といったように、独自の配点で特徴を出す学校もあります。思い切って英語に比重を置いたバランスで、英語の得意な受験生を受け入れたいという学校の判断です。傾斜=バランスを変えた、ということです。「英語が好きで、数学が苦手な私にぴったりです!どこの学校ですか?」という声も聞こえてきそうですが、残念ながらこの配点は大学入試のお話です。

 さてここで、一見関係がないような話題を取り上げます。総選挙についてです。衆議院は小選挙区比例代表並立制で選挙が実施されます。公民の授業で必ず扱うはずですよ。特に注目されるのが各選挙区で当選者が一人しか出ないという小選挙区制です。皆さんの地元でも誰か必ず一人の代議士がいるはずです。覚えておいても損はないと思いますよ(笑)。

 多数決という意思決定の仕組みを皆さんもご存知でしょう。皆さんが最初に使ったのはいつのことだか覚えていますか?校庭で友達と一緒に何をして遊ぶのか。いろんな意見が出てまとまらない。はやく遊び始めたいのに時間が過ぎて行ってしまう。そんな時に一番希望者の多いドッジボールにしようよ!といって決まった経験はないですか。学校生活ではおなじみの考え方ではないでしょうか。

 小選挙区制の選挙というのは有権者による多数決で一人の代表を選ぶやり方なのです。ですから極端なはなし、二人の候補者がいて、片方が51%の得票率、もう片方が49%の得票率で、ほとんど差がないような場合でも、一人でも多くの票を獲得した候補が当選となるのです。落選した候補に投じられた票は「死票」と呼ばれるのですが、小選挙区ではこの死票の数が増えてしまうのです。その弊害を改善するために比例代表制の選挙が同時に行われているのでしたね。得票率に応じて議席を配分しようという発想です。これだと無駄なく有権者の民意を反映させることができます。配分の方法である「ドント方式」も公民の学習で確認しておいてくださいね。

 さて傾斜配点に話を戻します。多数決は傾斜配点の考え方に基づいている、というと皆さんは理解できますか?こういうことです。「1位に100点、2位以下はすべて0点」という極端な傾斜配点によって多数決は行われているのだと。「ちょっと極端なルールだな」という認識ができれば公民の理解も深まりますよ!

 

 

 

 

 

 

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# 悪魔の証明

 「悪魔の証明」

 

 「国語は苦手ではないです」という教え子君が、目の前で入試問題を解いてみせてくれることになりました。なにも「僕が解いているさまを、先生にぜひ見せたいんです!」という要望があったわけではありません。苦手ではないとは言うものの、自信を持って得意だ!とは言い切れない生徒です。自分でも何か足りないところがあると思うからこそ、相談に来たのでしょうから。そこで「じゃあ実際に解いてみせなさい」ということになったのです。

 50分の試験時間が設定されている問題でした。快調に解き進めている様子が伝わってきます。でも40分を過ぎた頃からそわそわし始めました。どうしたの?と聞くと「解き終わりました」というのです。まだ試験時間終了まで10分もあるよ!見直しをしたり、できることがあるでしょう?と聞くと「見直しもしましたし、もうこれで答えが変わることはありません」と断言するのです。なにやら「国語が得意ならば速く解き終わるものなんじゃないですか」とでも言いたげな素振りです。

 これから採点をする私にしてみれば、この時点ですでに答案には何か重大な見落としがあるに違いない、と予測がたってしまいます。出題文を丁寧に読んでいないのではないか?設問をしっかりと吟味していないのではないか?教え子君には申しわけないですが、ダメ出しをする気満々で、採点を始めることになりました。

 まずは出題文も設問も、ちゃんと時間をとって読み解きます。○×だけつけておしまいというわけにはいきませんから。解いているうちに、教え子君がすぐに解き終わったと言いたくなる気持ちもわかりました。50分の試験時間の割には設問数も少なく、ほとんど記号選択問題だったのです。教え子君が「えい、やっ!」と適当に記号を選んだとは思いませんが、本来ならば時間をかけて確認しなくてはならないことを、やらずにすませてしまったに違いないと、選択肢の特徴から理解しました。「本文の内容と一致するものを次の中から選びなさい」というパターンがほとんどなのです。この場合、不可欠な手続きとして選択肢の一つひとつの文を文節レベルまで丁寧に分析し、きっちりと消去法で答えを導き出さなくてはなりません。今回の問題の場合、さらに大変だったのは「この選択肢の文に示されている内容は、本文のどこにも書かれていないことがらなので、正解だとはいえない」という形式の消去パターンを駆使する問題が多いという特徴があったのです。これは曲者なのです。設問数が少ないのに試験時間が長い意味がわかりました。そこで教え子君に聞いてみました「悪魔の証明って知ってる?」と。

 「悪魔の証明」というのは、ある事実や現象が「全くないこと」「存在しないこと」を立証する場合に、そう呼ばれます。その意味合いは「証明することが非常に困難であること」「そもそも不可能に近いこと」にあります。たとえば、「近所の公園にカブトムシがいる」という事実は、その公園で一匹でもカブトムシを捕まえれば、立証に成功したことになります。けれども「公園にカブトムシは一匹もいない」という事実を立証しようとすれば、「捕まえられなかった」というだけではすみません。一匹もいなかったというからには、公園内に生息する昆虫をすべて捕まえた上で「その中にカブトムシは存在しなかった」ということを示さなくてはならないからです。「存在=ある」ということの立証と「不存在=ない」ということの立証では、その難易度が天と地ほどの差があることがおわかりでしょう。

 また別の見地からこんな例はどうでしょうか。お母さんから「リビングにハサミが置いてあるからとってきて」と頼まれたものの、探したけれども見つからなかった場合、「リビングにハサミはなかった」と言い切れるのか?という問題です。「ない」とこたえているのに「本当にちゃんと探したの?」と聞かれれば、どこまで確認すればいいのか自信が持てなくなってしまいますよね。さらに、お母さんが探しに行ったら「ここにあるじゃないの!」と言われてしまった経験があったりしませんか(笑)。ことほどさように「ないものはない」と明らかにすることは困難であるわけです。

 入学試験でこのタイプの「本文中に書かれていないことを根拠に選択肢から外す」という問題が出題された場合に、「ない」ということの確認のためにチェックし続けるとしても、時間も限られている中でどこまでやればいいのか?という悩ましい問題を抱えることになります。出題者としても、その点を配慮して「試験時間」と「設問数」を決定しているはずです。ですから、「ない」と思っていたのに「ほら、ここにあるじゃない!」と言われないようにするために細心の注意を払って限界までチェックすることは、試験においては可能なのです。

 教え子君には、試験時間の設定にはちゃんとした意味があるということと、「手がかりがない」ことを探すタイプの問題は特に、時間をかけてチェックしなくてはならないということを伝えました。国語を得意だと言えるように精進することを宣言してくれましたよ。

 

 

 

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# 宿題

 「宿題」

 

 さて先月のこのブログでは、思春期と壮年期とでは感受性が異なるという話になりました。平穏無事という言葉の受けとめ方にしても百八十度違うということでしたね。とかく大人の気持ちと子どもの気持ちというのはすれ違うものなのです。大人としても自分が子どもだった頃のことを忘れてしまったわけではないのですが、人生も折り返し地点を過ぎると景色の見え方が違ってくるのです。様々なことに対して、子どもの頃とは正反対とも思える受けとめ方をするようになるものなのですよ。

 では皆さんにとって衝撃的ともいえるその典型例をお示ししましょうか。それは「宿題」についてのリアクションです。「来週までに単元全部、例題含めて練習問題を全部やってきなさい!」という、あの宿題です。皆さんにしてみれば「宿題さえなければ夏休みは最高なのに」というシロモノでしょう。もちろん宿題の必要性を認めないわけではないでしょうが、「なければいいのに」というのが素直な反応ではないでしょうか。理屈っぽい生徒さんなら「授業で解決されずに残った課題じゃないですか!授業時間以外に家庭で行うように指示されるのは納得いきません!」とまあ、やりたくない理由の一つも述べるところでしょう。ところが、大人にとってみれば「宿題があるなんてありがたいことなのよ」という発言が平気で出てきてしまうのですよ、これが。「なければいいのに」という反応に対して、「あるのがいいのよ」という反応ですから、まさに正反対となりますよね。

 「大人は自分が宿題をやるわけではないからそんなことが言えるんです!子どもが家でダラダラしないように、どんどん宿題を出してほしいという理由でしょ!」と皆さんは考えるかもしれませんが、ちょっと待ってください。そうではなくて「人生における景色の見え方の違い」についての話なのです。一体それはどういうことなのでしょうか?

 宿題というのは「解決されずに残された課題」という意味です。では誰が解決しなくてはならないのでしょうか?もちろん課題を与えられた人物、宿題を抱えている本人です。当たり前の話ですが、この明確な使命が大人にとっては、文字通り「有り難い」のです。やらなくてはならないことが自分にはある、という状況が幸せであるという認識が大人にはあるのです。解決を期待され、それに応えようと頑張ることが、どれほどの充実感を人生に与えるかということを大人は知っているからです。ですからつい、宿題に追われている皆さんに対して「毎日が充実していていいじゃない!」と思ってしまうのです。皆さんが「他にやりたいことがあるのに!」と言ったとしてもね。悪気はないのですよ(笑)。

 

 

 

 

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# 平穏無事

 「平穏無事」

 

 「へいおんぶじ」と読みます。「平穏」というのは漢字をそのまま訓読みすれば「平らで穏やか」ということですよね。「平ら」とは「浮き沈みがなく、変わったことがない」という意味になります。「穏やか」というのは「安らか」と言い換えてもいいですね。ですから「平安」という熟語も同じような意味になるわけです。「無事」というのも漢字そのまま訓読みすれば「(特別な)ことがない」という意味ですよね。特別といっても嬉しいサプライズとかいう話ではなく、よくないことに近いニュアンスになります。「悪いことが起こらなくてよかった」という意味を表しているのです。「つつがなく」という和語に置き換えることもできますね。

 ですから平穏無事というのは「変わったことがない」と「特別なことがない」の二つの同じような意味の熟語を組み合わせて、「何も起こらない」という内容を強調した四字熟語になるわけです。年賀状でのあいさつの文面に「おかげさまで家族みな平穏無事に暮らしております」というパターンがありますが、平穏無事という四字熟語がかもし出す雰囲気をよく表している用法だと思います。何もなくてよかったです、という報告になりますから。でもこれが言えるのは、人生経験をつんできた大人だからこそなんですよね。小・中学生の皆さんにとってみれば「何も起こらない」というのがそんなにいいことなのか?と、正直思いませんか!平穏無事をありがたがる大人の感性というのは、一体どうなっているのか、不思議に思ったりしませんか?

 自分の身に新たに何かが起こるというケースを考えてみて下さいね。成長の過程にある思春期の皆さん方であれば、これまでできなかったことができるようになるといったポジティブな変化がほとんどでしょう。ついこの前の自分と比較してみても、それは明らかではないでしょうか。同じ中学生でも一年生と三年生では大人と子どもの違いにすら感じられるでしょう。これほどの心身の変化は、人生の中でも他にはありませんからね。ところがある程度年齢が進み人生も後半にさしかかると、これまでできたことができなくなるという、皆さん方には想像もできない場面が出現するようになるのです。ネガティブな変化ですよ。階段をかけ下りられなくなる…小さな文字が読みにくくなる…固有名詞が覚えられなくなる…「それは老人の話じゃないですか?」という声が聞こえてきそうですが、これらのことは老人になって急にできなくなるのではなく、徐々に進行していく現象なのです。何を隠そう私が現に体験していることばかりです(笑)。成長のピークを過ぎれば、あとは下り坂に向かうという自然現象なのですが、なんとかこれに逆らいたいと思うのが人情というものです。老化を防ごうとするアンチエイジングという言葉を皆さんも耳にしたことがあるのではないでしょうか。だとするならば、平穏無事であってほしいという大人の願いの切実さが分かろうというものでしょう。むしろ、このままがいい!という心の叫びでもあるわけなのです。

 私と同世代である方々が多い思春期のお子さんを持つ親御さんというのは、ちょうどこのエイジング(良く言えば「熟成」、悪く言えば「老化」)がどんどん進行する時期でもあるのですよ。一方で子どもはというと反抗期の真っ只中。話しかけても口ごたえされるか、返事すらないか、そんな状況です。もちろんそうして親離れが進んでいくのですが、親御さんにしてみれば「子どものままでいてほしい」というのは、心の奥に秘めた望みでもあるわけです。このまま自分も家族も変わらずにいてほしい!平穏無事にこめられた親御さんの思いというものを、ほんの少し理解してくれればいいのですが…反抗期がそれを許さないのですよね。皆さんが「中学一年生のままでいたい!」などと望まないのは百も承知なんですよ。

 「何も起こらないようにする」というのは、心配性の大人が「子どものために何も起こらないでほしい」と願い、その価値観を子どもに対して押し付けているわけです。それではいけない!ということは親御さんもよく分かっているのです。何も起こらなければ何もできるようにならないし、何よりそれでは子どもが楽しくないではないか、と。子どもの成長を願うならば、新しいことへのチャレンジを後押しして応援し続けよう。挑戦する子どもたちの姿にハラハラしながら気をもみ、ドキドキしながら見届けよう。そんな平穏無事とはかけ離れた波乱万丈な心理状態が続くのですから。せめて平穏無事を祈ることぐらい、親御さんにさせてあげて下さいね。私からも皆さんにお願いします。

 

 

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# 俗情に流される

 「俗情に流される」

 

 極めてオトナ度の高い「言い回し」ですよね。教え子の小中学生の皆さんが日常で使うことは皆無ではないでしょうか?「俗情」とは「俗」な心情、心のことです。そして「俗」というのは、「ありふれた、世間普通の」という意味から、さらに軽蔑の意味を込めると「いやしい」という意味にもなります。ですから「俗情」というのは「世間一般の人たちが思ってしまいがちな、いやしい気持ち」ということになります。「流される」というのは「ついついそんな気持ちになってしまう」ということですね。今回は特に、新しく中学校生活を始める皆さん方に「俗情に流されるな!」という言葉を贈りたいと思います。

 「え〜、なんだか怖いな〜」と、そんな気持ちになるかもしれませんが、小学生の頃とは違うんだということを意識してほしいからです。何が違うのか?小学生の頃の勉強の仕方とは大きく違う点が中学校生活にはあるのですよ!それは、いわゆる「中間テスト」「期末テスト」という「定期テスト」が、年間の学習スケジュールに組み込まれていることです。あらかじめテストの日時は決まっているのですから、それに向けての学習計画をしっかりと立てなくてはならない、ということになるのです。テスト準備のため、毎日気を抜くことのできない勉強が続くのですよ!

 昨日も今日も友達と遅くまで遊んで、明日も遊ぶ約束をして、小学生の頃は「今、これがしたい!」という気持ちを、存分にかなえることができました。ところが、中学生となった皆さんには、もうそんな「どうしても今これがしたいんだぁ!」というような駄々っ子的な俗情に流されることは許されないのです!なんて、ちょっとおどかし過ぎましたか?それでも本当に「中間テスト」「期末テスト」と容赦なく、全ての科目でテストが行われます。準備を怠れば、悲惨なテスト結果が待ち受けており、そしてそれが「成績」として白日の下にさらされる…小学生の頃とは決定的に何かが違うのです。

 それはこんな風に考えてください。皆さんに中学校の三年間で身につけてほしいとオトナが考えていることがあるからだ、と。そしてそれは「長期的計算」ができるようになってほしい、ということなのです。長期といってもせいぜい一ヶ月ですが、それで十分です。「中間テスト」「期末テスト」があるのは、そのためなのです。

 ものごとには全て行きがかりがあり、かつまた因果は巡るということ。今日だけで時間が終わるわけではなくて、明日以降の未来もあるのです。小学生の頃は「ずっと今日が続く」という時間感覚であったものが、中学生では「期末まであと三週間!」といった区切りを意識した感覚になります。これが「長期的計算」に基づいた振舞いが求められる、という意味です。せめて一ヶ月は「逆算」して計画を立てられるようにならなくてはいけません。今日「気が済んだ」としても、明日や明後日にどうなるのかが問題なのです。一ヵ月後に結果が出せるように、明日、明後日につながる今日をどのように過ごさなくてはならないのか。「長期的計算」とはそういうことです。今日の振舞いで「気を晴らす」ことよりも優先しなければいけないことがあるのです。

 「え〜、やっぱり怖いな〜」と、そんな声が聞こえてきそうですが、でも大丈夫。誰もがオトナになるまでに通った道です。三年間かけて身につければいいのです。そのための手伝いを、われわれは惜しみませんから!

 

 

 

 

 

 

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# 英文解釈

 「英文解釈」

 

 「英語の勉強ってきりがないじゃないですか!やってもやっても次から次へと知らないことが出てきて。単語でさえ、全部覚えたと思っていたのに、問題文の中に知らない単語がいくつもあって。日本語に直せといわれても無理ですよ。見た瞬間、終わったと思って……。」普段は無口な生徒なのですよ。ところが一度話し始めると、思っていることがすぐさま言葉になってあふれ出してきてしまってとまらないのです。こちらが確認のためにさえぎりでもしない限りは、時間が経つのも忘れているかのようです。

 ちょっと待って。単語を全部覚えたっていうのはどういう意味で?「えっ?だから全部ですよ。テスト範囲のテキストに出てきた単語を全部ちゃんと覚えたということです。」どうやら定期テストの話をしているようです。その時に出題された英語の問題のことを話題にしているのですね。砂漠に水をまくかのような英語学習の困難さに直面して、これから先のことが不安になっていたのかと思って聞いていれば、その同じ口で、単語は全部覚えました!などと大風呂敷を広げるものですから。一体何が言いたいのか、話の意図をつかみかねていました。要するに、準備万端でテスト範囲の英単語も全部覚えて試験に臨んだのに、やっていない単語をふくんだ問題が出たといって怒っているのでしょうね。そう思った私は軽い気持ちで答えてしまいました。そんなこともあるよ、100パーセントのテスト準備なんてことはそもそもありえないと思わなくちゃね。ところがこの一言が火に油を注ぐ結果をまねいてしまいました。「そんなことってどういうことですか!知らない単語が出るってことですか?出たら終わりだと覚悟しろってことですか!」

 不用意な一言を取り消したくても時すでに遅しです。間違ったことを言ったとは考えていない私は、ごめんごめんと謝るのも変な話だと思ったので、変化球ともいえる言葉を投げかけて相手の気持ちを落ち着かせることにしました。一種のなぞなぞを出題したのです。「終わりだと覚悟する」という相手の言葉を受け取って、「終わりではありませんよ。むしろ始まりだと思ってくださいね」と、返しました。なぞなぞ風に言いかえるならば「終わりだと思ったら、始まりだったものがありました。さて、それは何でしょうか?」になりますね。そしてその答えが何かというと、今回取り上げた四字熟語である「英文解釈」なのです。「どういうことですか?説明してください!」と、当然聞きますよね(笑)。

 「英文解釈」といのは、英語で書かれた文章の内容を自分なりに理解して日本語で表現するということです。自分なりに、と書きましたがもちろん自分勝手な理解ではダメですよ。客観的にみて理解が得られるような内容でなくてはなりません。それでも自分なりにと表現したのは、解釈の仕方にはバラエティがあるということです。なぜなら英単語一つひとつの意味をたとえ正確に日本語に置き換えるという逐語訳をしてみたところで、英文に表現された内容が再現されるかというと、そうではないからです。英文であってもそこには作者がいて何かを伝えたくて文章を書いているのですから、その作者の意図をくみ取らなくてはなりません。逆に言えば、たとえ単語の一つや二つ意味が分からないとしても、文章全体の流れをしっかりと把握していれば、作者の意図をふまえた解釈を日本語で表現することは十分に可能だということです。むしろそこにこそ英文解釈の醍醐味があるとも言えます。

 私のところに相談しにきた生徒のように、テストの英文に知らない単語が出てこようものなら、すぐさまテンションが下がってしまうタイプの人がいます。せっかく調子よく文章を読み進めてきても「あっ、この単語知らない!えっ、また知らない単語だ!あぁ、もうだめだ、終わった。」と、あきらめてしまうのです。けれどもそうではなく「よし、ここからが始まりだ!」と気持ちを切り替えて臨むことが入試英語には必要だと思いますよ。大学入試はもちろん、ハイレベルの高校入試の英文でも、試験問題を目にして単語が全部わかるということのほうが少ないと思いますからね。むしろ知らない単語は絶対に出てくると覚悟しておいたほうがいいでしょう。ではそのときにどこで答案の差がつくかといえばまさに解釈の差になるのです。前後の文脈からこんな意味になるはずだと推測しなくてはなりません。そこで当たらずといえども遠からずという解釈ができるかどうかが勝負なのです。

 相談にきた生徒にはこんなアドバイスもしました。単語を覚えることはもちろん大切なこと。それにしっかりと取り組んでいるあなたは立派です!テキストの予習でも、知らない単語をチェックして、辞書を引いて調べていることでしょう。でもその前に、知らない単語の意味を文章の前後から判断して「こんな意味ではないかな?」と予想してから辞書を引く習慣をつけてみてください。最初は手間がかかると思うかもしれませんが、とにかく自分なりに答えを出してみてくださいね。そこから何かが始まるはずですから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# 受験勉強

 「受験勉強」

 

 冬の朝、窓を開けると、キーンと冷え切った空気が流れ込んできます。その朝の空気を胸に吸い込むと、私の脳裏にはある情景がよみがえってきます。受験当日の朝です。試験会場に向かうために乗り込む電車の駅まで歩いていった時のことです。家を出てから時間にして五分ほど。その間に次々にわいて出てきた、おそれや期待や自信や不安などといった様々な感情。これらがないまぜになって、朝の空気と一緒に胸の中によみがえってくるのです。受験の日からすでに、三十年以上経っているにもかかわらずですよ。「人生」を感じてしまう瞬間なのです。

 ですから皆さんにも、特に受験生である中三生には、伝えたいのです。「この冬の一瞬一瞬は、たとえ意識していなくても、一生胸に刻まれるような、特別な時間なのだ」ということを。受験勉強は、なにも冬に限ったことではないのですが、やはり、受験が間近に迫った、この時期だからこそ感じることのできるものがありますよね。「先生!暑い夏に、半そでのシャツで通った夏期講習にも、特別な思い出がありますよ!」うれしいことを言ってくれる教え子君がいます。そうですよね。なんだか毎日顔を合わせていたかのような日日でしたよね。でもやっぱり、この冬の時期だからこそ、「夏は暑かったよな!」と、特別な思いが込められるのだと思いますよ。

 高校受験は、日本に生まれた君たちの同い年、百万人が体験するものです。中学受験とも大学受験とも違う、いわば同世代の「分厚い共通体験」なのです。私も中学受験・高校受験・大学受験・大学院受験と何度も受験を経験し、その都度受験勉強に打ち込んで?きました。そんな中で、最も悩み深かったのが高校受験であったと言えます。やはりそれは十五歳という年齢的な要素が大きく影響しているものと思われます。精神的なブレが激しく、昨日と今日の自分がまるで別人といった様相でしたね。何者でもない自分に自信が持てずに、周りにあたりちらして意地を張ってみたり、周りは何もしてくれないと不安にさいなまれて意気地をなくしてみたり。逆に、何者にでもなれる自分の可能性に意味もなく満足して、生意気な態度をとってみたり。

 皆さんも、そんな「自己の確立」の時期にむかえる高校受験です。受験勉強のさなか、途方にくれたこともあったでしょう。でも大丈夫。新しい年を受験生として迎えることができました。二〇一九年は君たちの受験の年なのです。人生の中で「受験の年」として刻印されるこの年に、震えながらも堂々と立ち向かっていってください!十五の春はすぐそこまで来ていますからね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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# 必勝法

 「必勝法」

 

 「テストに必勝法なんてないですよね?」切羽詰った様子で教え子君がたずねてきます。けれども、本当にそんなものがあることを期待しているのではなさそうです。どうやら「必勝法はない」ということをわざわざ確認したいようなのです。「自分の知らないうまいやり方があるのではないかと思えて、勉強に集中ができない…」という弱音をはいてみて、「そんなものがあるわけないだろう!四の五の言わずに腹をくくって勉強しろ!」と、活を入れてもらうことが目的のようです。はじめから否定されることを前提に「そうですよね!しっかり頑張ります!」という前向きな発言をするつもりで、必勝法を聞いているのでした。ですから「必勝法を教えてください!」ではなく、「必勝法なんてないですよね?」というたずね方になるのです。

 そのことを分かった上で、あえて答えます。「今から七百年も昔に、必勝法は明らかにされているよ。超有名な随筆の中でね。では問題です。文学史の常識、日本三大随筆といえば?」急に質問で返された教え子君は戸惑っているようですが、さすがに「文学史の常識」とまで言われれば知らないではすまされません。「清少納言の枕草子と、鴨長明の方丈記と、吉田兼好の徒然草です!」正解ですよ。ついでに「七百年前」という条件に合うのはどの随筆なのかということも確認しておいてくださいね。平安時代中期の枕草子は約千年前、鎌倉時代初期の方丈記は約八百年前、そして鎌倉時代末期の徒然草が約七百年前ですからね。

 「徒然草にテストの必勝法が書かれているんですか!?」と教え子君は色めき立っていますが、勝負事の必勝法を徒然草の百十段は示しているのです。短い段ですので、全文を引用してみましょう。

 双六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく 負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、又しかなり。

 以下に意訳をしてみましょう。すごろくの名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝とうとしようと思って打ってはいけない。負けないようにしようと思って打つのだ。どんな打ち方をしたらすぐに負けてしまうかを予測して、その手は打たないようにして、一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。その道を極めた人の言うことであって、これは研究者や政治家の生き様にも通じる。こんな意味になります。

 徒然草には他にも「名人」と呼ばれる人物が登場しますよね。弓矢の名人であったり、木登りの名人であったり。それぞれに、含蓄のある言葉を発してわれわれをうならせてくれます。弓矢の名人なら「二本の矢を持つな!一本入魂で行け!」だったり、木登り名人なら「油断大敵!高いところよりも、地面に近いところが危ない!」だったり、なるほどな!と思わせる話が紹介されています。勝負事の必勝法について教示してくれるのは「すごろくの名人」です。すごろくといっても、皆さんが知っている、さいころを振って上がりを目指す「人生ゲーム」のようなすごろくではなく、「バックギャモン」(かえって皆さんにはなじみがないですよね。ヨーロッパで人気のボードゲームです。)に近い対戦型ゲームのようです。日本では平安時代に大流行しています。枕草子や源氏物語にも登場するほどです。当時の大人気競技の名人に話を聞くという内容ですから、平成の今に当てはめるならば将棋の羽生名人に必勝法をたずねるというかんじでしょうか。『決断力』というタイトルの新書がベストセラーにもなった羽生名人ですからね。今も昔も、勝負の世界に生きる人からヒントをもらう、というのはかわらない欲求なのでしょう。

 さて、教え子君に伝える「テストの必勝法」でした。すごろく名人の話をテストに置き換えてみましょう。「負けないようにすること」というのは、すでに経験したことをふまえて「これをやるとまずいことになる!」というパターンを避けるということ。逆に「勝とうとすること」というのは、経験したことはないがあえてチャレンジしてみること、になります。やったことがないパターンにチャレンジすることですね。既存のルールをはみ出したところに独創性は生まれるものです。けれども、テストの意義を考えてみましょう。それは「やったことが試される」というものです。テストとはあくまでも「学習済(経験済)のことがらの定着が試される」という趣旨のものです。発想のユニークさが評価されるというようなものではないのです。それは数十分のテスト時間で求められるものではありませんよね。ですからテストの必勝法は、「四の五の言わずに勉強して、経験値を上げろ!」ということです。結局、活を入れることになりましたね(笑)。

 

 

 

 

 

 

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