文の会ブログ

「本郷東大 文の会(ふみのかい)」のブログです!
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# リーズナブル

 「リーズナブル」

 

 「国語の解答って、いい加減だと思います!」私のところに詰め寄ってきた教え子がいます。成績優秀な生徒さんです。英語と数学の成績は抜群で、本人も「得意です」と自負しています。そんな中で「国語の成績には納得がいかない!」ということなのですが。「国語の読解問題で、傍線部の理由を答えさせたりする場合、数学のように証明ができないじゃないですか。それって数学と違って国語はいい加減だということになると思うのですが、違いますか!」ドキリとさせられる鋭い質問です。単に成績が振るわないことに対するグチを語りにきたとか、国語という科目に対する八つ当たりを述べにきた、というストレス発散のために筆者のところにやってきたのではなさそうです。(あ、ストレス発散でもいいのですよ!内にこもって悩み続けてモンモンとするよりも、外に向けて何かを発信することは精神衛生上もいいことだと思いますので!)真剣な質問に対して、真剣に向き合わなくてはならないと覚悟を決めました。そして次のように生徒さんに返答したのです。「確かに国語の解答は、いい加減ですよ。」あっさりと認めてしまいました。肩透かしをくらったような格好の生徒さんは、かえって戸惑ってもいるようです。そこで、「でもそのいい加減というのは漢字で書いて考えてみてくださいね」と、伝えました。それはどういうことでしょうか?

 「良い加減」と書いて「いい加減」と読むことができます。辞書で確認してみてほしいのですが、「いい加減」には相反する意味が含まれています。一つは、生徒さんが指摘した内容での「おおざっぱで、無責任」という意味です。そして、もう一つが「適度」という意味になります。「ちょうどいい加減のお風呂の温度」という用法がなじみやすいでしょう。国語の読解での解釈というのは、この「良い加減」の推論を追求するものなのだということを理解してほしいのです。

 「数学とはどこが違うのですか?」生徒さんの追及はとまりません。数学の証明のような論理的推論には、大きな特徴があります。それは「前提がすべて真であれば、結論も必ず真となる」というものです。中点連結定理を使って図形が平行四辺形であるということを証明する、なんていうのはまさにこのパターンですよね。これに対して、国語の読解での解釈というのはどうでしょうか。「傍線部の箇所での主人公の心情を説明しなさい」という問題をイメージしてみてください。決まった定理があるわけではありませんよね。論拠を挙げるとしても、「文章中で主人公がこんな行動をとっている」という箇所を指摘できるくらいです。さらには、そんな行動をとっているからといって、こうした心情でいるに違いない、という結論を導き出すことも、あくまでも蓋然的なもの(確実とはいえないもの)でしかないのです。つまり国語の読解では、論拠に関しても、論拠から結論への移行に関しても、数学的には「いい加減」な推論でしかないと言えます。だからこそ、別の観点から「良い加減」の推論を追求しなくてはならないのです。ここで求められる観点こそが国語的なものなのです。そしてそれは、誰もが納得できるという意味での「合理性」ということになります。

 「合理性?…ですか」なんだか難しげな話になって、さらに戸惑いの度を深めている様子にも見えます。英語を得意としている生徒さんですので聞いてみました。「reasonリーズンという単語の意味は知っていますか?」「はい、理由とか、道理という意味です。」「そうですね。ではreasonリーズンがもとになったreasonableリーズナブルという単語の意味は知っていますか?」「え、あ、はい。リーズナブルという言葉は知っています。値段が安いという意味だと思います。」「いえいえ、リーズナブルは合理的という意味なのですよ!」

 「リーズナブル」という言葉の本来の意味は「リーズン」という言葉の意味をふまえて「道理に合った・納得のできる」という意味になります。そこから「納得のできる手ごろな値段」という意味で「妥当性のある値段」を意味することもあるのです。「激安」という意味で覚えてしまっている生徒さんはいませんか?決して「安い」というだけではありませんのでご注意を。

国語で求められるのは、このリーズナブルな解答なのです。それは相手を納得させられるだけの妥当性を持った解答という意味になります。ここで言う相手とは「採点者」のことであり、その人を説得するという意識が必要です。コミュニケーションの中で理性を働かせることこそ、国語の学習の目指すべき姿なのです。「問題と向き合うだけの数学と違い、国語には人間の相手がいる、ということですよね?」その通りです。文中の言葉を使いながら、良い加減に相手に伝わる答案を目指しましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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| comments(0) | trackbacks(0) | 11:30 | category: そんな生徒はいません!(フィクションです) |
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